あなたはどんな余暇を楽しんでいますか?
余暇とは何か?
独自の日本文化の柱となった余暇
歴史的な視点でみると、お茶やお花、和歌に代表されるように、日本には上手な余暇の利用の仕方があり、独自な日本文化を形成する重要な柱となっています。
明治維新と高度で巧みな余暇活用
ビジネスの世界と詩の世界の両立
文明における余暇の役割
「内には熱心に仕事に取り組み、外には詩を楽しむ」
第一国立銀行の初代頭取・渋沢栄一は忙しいビジネスの傍ら、詩を楽しんでいました。そんなに忙しくセールスをしながら、どうして詩集なんかできたのか?という問いに対して彼は「『内には熱心に仕事に取り組み、外には詩を楽しむ』そして一時も無駄にしていない。その風流がどうしてすばらしくないことがあろうか」と答えました。渋沢は、ビジネスの世界を見事に両立させ、相互にプラスになるように充実させたのです。これこそがまさに明治維新という大変革を平然と乗り切っていけた理由であり、文明における余暇の役割だったのです。
余暇とは何か?
日本建築に探る余暇の空間
春の花見や夏の納涼、秋の紅葉見物に冬の雪見と、四季それぞれの行楽見物は日本人に欠かせない最も手軽な余暇の過ごし方でした。この自然の風情や景観を日常の生活に取り込み、生活空間の周辺を人工的自然で飾る手法が庭造りでした。
余暇とは何か?
余暇のあり方
仕事をしながら時間をつくる、遊ぶ
会社員の方々のほとんどは、定年でリタイアした後の第二の人生で余暇が始まると考えています。そのため、いざ定年を迎えたときに「何をしたらいいのか?」と悩んでしまうケースが多くみられます。「忙中閑あり」という言葉があるように、余暇とは決してまとまった時間が必要なものではありません。仕事との境界線を設けず、むしろ融合させるように、自分のやりたい事を追及していくことで、新たな知見や生きがいを見出すことでできます。
労働と余暇のボーダー「人は何かを常に稼いでる」という意識
「稼ぐ」というと、「お金を得る」という意味で使われていますが、もともとは日夜仕事に励むということを表していました。働くことで、確かに「お金」を得ることができます。しかし労働で得られるものは「お金」だけではありません。経験・知識・技能など、様々なものを「稼ぐ」ことができるのです。このように、賃金が発生する「仕事」をしている時間以外にも、人は24時間“何か”を稼いでいるという意識を持つことで、仕事と余暇の境界線をあえて設けず、忙しい中でも事故を高める様々な活動を行うことができるのではないでしょうか。
社会への貢献
最近日本でも注目を浴びている「プロボノ」という新しい社会貢献の手法があります。社会的・公共的な目的のため、職業で培ったスキルや知識を提供するボランティア活動。語源は、ラテン語の「公共善のために(probono bublic)」に由来します。
プロボノで社会が変わる!?
プロボノに参加して職業で培ったスキルを提供することにより、己のスキルの汎用性を確認できたり、職場以外のネットワークが広がったりと、社会貢献だけではなく、自分の生き方や働き方を見直すことができます。このようにプロボノには、「仕事と余暇」や「ビジネスとボランティア」といった概念に様々な変化をもたらす可能性が秘められています。
学ぶことで叶う
余暇を、漠然と過ごすのではなく、「学び」を得る時間に充てたい。さらには、学びを「奉仕」につなげたいと考える人たちがいます。
今求められる「ワーク・ライフ・バランス」
仕事と生活の相乗効果を高めるための「ワーク・ライフ・バランス」は今求められています。仕事で成果をあげるためには、広い視野や知識、スキル・人脈が必要で、それらは仕事以外の場で身につくことがほとんどです。このように、仕事以外の場を大切にしたライフワークバランスによって、むしろ短時間で仕事の成果を上げることができるようになるのです。
余暇は、人間が人間としてあるべき姿を培い、活発に生きていく活力となります。
さぁ、あなたはどんな余暇を楽しみますか?