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我を忘れて夢中になる

夢中になれること。それは人生に深みをくれる。

我を忘れて夢中になれるのは何故?知らず知らずに感じている人生の歓び

仕事や趣味に打ち込む中で、夢中になったり、満足間を得たことはありますか?そんな行動力の原点には以下のような要素があるからだと考えます。これらが満たされたと時、人は生きる歓びを感じるのではないでしょうか。

生きることの根幹には、命を永らえたいという願いがあります。生きるためには衣食住が意識的にも無意識的にも必要になっていきます。行き続けたいと思うあまりに、お金を稼ぎたい、楽しみたい、健康でいたい、地位や名誉が欲しいと思うようになるのです。そうした生存本能から、趣味や仕事に打ち込みたいという願望が出てきます。

国家、社会、会社、地域、家庭、そして個人としての、トータルな自己表現の場を作り出さなければ、人間としてのアイデンティティや自己充足感は生まれません。まずは自己表現を発揮できる場をつくり出すことが重要なのです。

子どもは外部から栄養物をどんどん摂りいれて自分の身体を維持するだけでなく、さらに成長もしていく。新しい事業を始めたり、新しい学説をうちだすのと同じように、これもある種の創造です。趣味や仕事に打ち込むうえで、保守と創造のバランスは大切。しかし、今の社会は保守に偏りがちで、創造力が試される場所がなくなってきているのも事実です。

人間関係、つまり社会生活も、生産関係とは別の連帯の絆で結ばれています。他人に対して情を深めたり、地域・社会に参加することで、血の通った「余技のコミュニティ」を広げることができます。

自立した個性を発揮する

「孤立」ではなく「自立」を

子どもが自由な時間を手にしたとしても、個室という空間に自分を閉じ込めていたらどうしようもありません。一人にならなければ発揮されないような消極的な個性は意味がないのです。

没頭し“我”を忘れる自分らしさ

「我」と「個性」とは混同されがちですが、実は「我」と「個性」は相容れないものです。人間が本当に主体性(個性)を発揮して打ち込んでいる時にこそ、我(理性)がなくなっていく…。そこにこそ本当の人間らしさがあるのではないでしょうか。

職と遊びの相互関係

プロとアマ

プロフェッショナルとは必ずしも熟練した専門家という意味ではなく、その活動で生活できるほど稼ぐことができる人のことを言います。古代ギリシャにあったスポーツとは身分を問わず金儲けを目的としない、体を使った自己表現でした。

「遊び」によって人生を豊かにする

プロから離れたところに遊びは成り立ちます。非生産的な行動が、人生のもっとも重要な部分となるのです。遊びの本質は自己解放と自己中心。つまり何ものにも縛られないことです。余暇の空間とは、人間の遊びによって様々に変化・変質するものでなければなりません。

余技の質

余暇を充実させる内的満足感

働き蜂といわれてきた日本人も、余暇の時代に入り、時間をもてあますようになりました。しかし本当にそう言えるでしょうか?自己の人生の価値基準がないままでは、余暇があっても内面的成熟は望めません。今問われているのは、物質的な生活ばかりではなく、一人一人の生活に対する内的満足感なのではないでしょうか。

稽古事で己の質を高める

信長や秀吉は茶の湯に打ち込んだとされています。激動の人生を歩んできた彼らでも、内面的な自己省察の時間を持っていました。そんな内面満足感を高めるものが「稽古事」です。人生の人格的表現にかかわる生活の中心をなすものこそ、自分を取り返す時間と作業に他なりません。

人間を駄目にする「満足感」の罠

人間を駄目にしてしまうのは「満足感」です。向上心を失った時、その人の脳の若さを失っていくのではないでしょうか。大切なのは失敗しても負けない気持ち、駄目な自分を認めること、そして、変わろうとし続けることです。

大切なのは「達成する自己満足」ではなく、「向上する・追及する」満足感こそが、自分を成長させてくれる

人生を自由にする

本能を尊ぶ

自己を開放し、本能的に住みたい空間を考える

人の思考と行為は全て、大きくいって知性(=文化)によるもののみであるといえます。万人に共通する「本能」と呼ばれるものは、知性によって制限されてしまいます。「我を忘れて夢中になる」とは、この制御されない「本能」によるものなのではないでしょうか。そこには「我の意識」はなく、「やりたいこと」に打ち込み、生存本能を存分に表した、人間らしい生活があります。自分の体が欲しがっているものを見極め、開放させることで、自分の住まうべき空間が見えてきます。

本能が喜ぶ住環境はおのずと健康的で、良心的で、社会、経済、環境にも優しい。そこで暮らすことで人は幸せになり、変わり続け、総体的に社会もよくなっていきます。

レッド・ハウスが伝える仕事と趣味と生活の兼ね合い

詩人でありデザイナーであったウィリアム・モリスが住んだ『レッド・ハウス』。モリスはこの家を増築し、親しい友人と共同生活をして、美しい造形や生活用具、文化を生み、世に送りだすという理想を持っていました。しかし生活面で問題が起き、その理想は実現されることなく、モリスはレッド・ハウスを手放すことになりました。未完の夢だけが残されてもなお、レッド・ハウスは尽きない魅力を人々に伝え続けています。