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日本の庭の在り方

日本の庭とは

「見る」と「利用する」という要素

日本の庭には、二つの要素があります。「見る」という要素と、「利用する」という要素。多くの庭にはこの二つの要素が混在しています。

「見る」

「見る」要素だけで成り立っている庭の代表は、禅寺の石庭や秀吉が作らせた醍醐寺三宝院庭園など。

「利用する」‐茶庭・露地‐

「利用する」要素が強い庭には、蹴鞠や船遊びが行われた、平安時代の寝殿造りの庭園があげられます。利用する要素の庭は、鎌倉~室町時代の金閣寺庭園、江戸時代の桂離宮庭園、大名邸の廻遊式庭園などに引き継がれています。そして、茶庭もその一つです。安土桃山時代に誕生した茶庭・露地。露地は茶庭に付属する庭で、実際に茶会で活用されます。

茶会では亭主は客の到来を見計らい、露地をあらかじめ清掃し、打ち水をし、蹲(つくばい)の水を替えます。亭主が自ら清めることには、全てを清浄化するという意味合いがあります。客もまた「三界の火宅を出て露地に住す」という境地で、飛び石をたどります。そして茶室に入る前に蹲で手と口を清めます。その過程で心を浄化し、亭主と一体という境地に至る。露地には、そんな精神的な意味合いが大きいのです。露地には、そんな精神的な意味合いが大きいのです。露地には、そんな精神的な意味合いが大きいのです。露地には独自の工夫がたくさん見られます。千利休が導入したといわれる飛び石、景趣を高める石灯籠、禊の装置としての蹲、客を待つ待合、中門や枝折り戸、苔と石の植え込みなど。それらの影響は江戸時代以降の一般の庭にも残っています。日本の庭は、自然と共にある、日本人の心の現れと言えそうです。

自分の力量で見える庭の景色

庭づくりは、恐ろしくもあり、面白くもあります。自分の力量を超す庭はできない。自分そのものが庭となって出来上がるだけなのですから。庭は自分の分身、自分の心を写す鏡なのです。自分が卑しいことを考えていれば、やはり卑しい庭しかできず、未熟であれば、未熟な庭が仕上がる。この怖さは、墨絵も書も同じです。先達の造った物を眺めるときも、今の自分の力量分しか見ることができない。時を経て、同じ庭を見るとき、同じ絵を見るとき、同じ書を見るとき。必ず新たな感想や感動もあります。造ることも、眺めることも、修行であり“道”なのです。

臨済宗の禅僧、疎石(そせき)曰く「山水に得失なし、得失は人の心にあり」。これは、庭を造る技術より、造ることに込められた求道心が重要であると説いています。日本の庭は、この疎石が求めた庭そのものなのではないでしょうか。

庭は、心の表現の場です。

禅僧たちが修行を重ねた「心の表現」「自己の表現」の場。あるいは、客をもてなす茶会の亭主の「心の表現」の場。室町時代に、大徳寺の住職を務めた一休宗純という禅僧がいました。詩人でもあった、一休和尚の元には、当時優れた文化人たちが集い、やがて教えを乞うようになり、その多くが弟子となりました。

弟子の中には、村田珠光もいました。後に茶禅一味を唱え、今日の茶道の礎を築いた人物です。珠光は、禅僧の行っている「自己の表現」に、亭主としてのもてなしの心を加え、禅と茶の関係をより深いものに導きました。

そもそも禅では、「心の状態」という目に見えないものを象徴化し、何かの形に置き換えて自己を表現しようとします。これが「自己の表現」です。その方法は、墨絵・書・庭など様々ですが、手法は問題ではありません。自分の得意とするものを選べばよいだけのことです。その表現方法が庭であった場合。自分で庭のデザインを行う時、現場で指導にあたる時、また古い庭園を眺めるとき。庭に相対する時は、何時も修行になります。禅の教えの中に「毒蛇が水を飲めば毒となり、牛が水を飲めば乳となる」という言葉があります。言い換えれば、庭を毒にするのも、乳にするのも作者次第ということになります。

日本の庭とその原イメージ

原イメージがつくりだす未来に受け継がれる庭

庭と言えば、土地さえあればどのようにでも形づくれるように思いがちですが、はたしてそうなのでしょうか。

冬の風物詩となっている札幌の雪まつり。庭ではなく広場ですが、そこには巨大な雪の造形彫刻が並びます。楽しく立派なものですが、どこかの有名な建造物やキャラクターが形どられたものばかりです。

雪まつりの広場は、一つのテーマを持った空間構成ではないのです。しかし、「庭」や「庭園」を造るには、強い原イメージが必要になります。庭には、あるイデアや理想像が秘められています。

例えば、バビロニヤの「空中庭園」やインドの「祇園精舎」の園のような後世に伝承される庭園の逸話が残されています。日本の古代の「庭」は自然風景の象徴としての型をもっています。

そのそれぞれがどのようなイメージのもとに発想されたかはつまびらかではありませんが、多くの場合、庭園のシンボルとしての役割を託されているようです。

イングリッシュ・ガーデン

‐親しみやすい西洋式庭園‐

西洋式庭園の中でも今、日本人の心情に最も訴えかえけるのが英国風の庭園、「イングリッシュ・ガーデン」です。洋風の庭でも整形式庭園とは異なり自然な雰囲気の庭だからでしょう。イタリアやフランスで発達した整形式庭園は、噴水や彫刻、並木も花壇も幾何学的に配置され、樹木も円錐形や立方体の形に刈り込まれるなど、すべてが人工的な構成です。比べて、イングリッシュ・ガーデンは、風景的な庭園(ランドスケープ・ガーデン)や田園風景画庭園(コテージ・ガーデン)のような親しみやすい構成です。

‐1年中続く美しい緑‐

風景式庭園はその名の通り、1枚の絵のように作り上げる大規模な造園です。英国の田園風景に見られる起伏にある曲線を活かし、庭の囲いは取り払い景観の広がりを大事にします。下段は設けず芝生を張り、自然な形の樹木を配します。しかも、季節ごとに樹木や花々は主役が入れ替わりつつも、全てのシーズンで楽しめるように構成されています。こじんまりとした居心地のいい庭もあります。バラやハーブや多年草など、昔から親しまれてきた素朴な花や果樹を配された庭です。実用性や手入れのしやすさを考慮した家づくり。中産階級が発達した英国らしい庭です。英国も日本と同じように島国です。大陸とは、近いけれども切り離されている。こうした地理的な条件は日本と似ているかもしれません。大陸の影響を受けながらもやがて独自の文化を作り上げていったように、英国の庭も独自の発達を遂げました。

英国の庭に特徴は、素朴で自然な美しさ、1年中芝生が美しい緑を保っていることなどがあります。それは冬に雨が多く、穏やかな気候であることがもらたしています。最後に、英国の庭は、玄関のポーチのつるバラ、壁に広がるツタ、目隠しとなる植え込みなど、建物との調和がよく考えられています。それに、眺めがいい場所には必ずと言っていいほどベンチが置かれています。そんな居心地への細やかな配慮も日本人の心に響く理由の一つだと言えます。

庭と都市の緑

‐都市に造る屋上緑化・壁面緑化‐

屋上緑化や壁面緑化、公開緑地といった様々なプライベートグリーン増強計画。あるいは、市民生活に不可欠な環境空間として公共緑地(オープンスペース)を計画的に確保する。いずれにしても、日本人独自の緑地プランが必要だと言えます。プラタナスやスク、エンジュなどの緑化樹木よりも、モコク、ナンテンなどの庭木のほうに親しみを感じる。噴水よりも、自然流下の滝や川のような流れに風情を案じる。バラ園よりも、自然な山野草。現代人の本音に応える緑化がそろそろ登場してもいい頃です。公園制度導入から1世紀を超えた今、みんなの庭・都市の中の庭としての公園も、ジャパネスクを目指したいものです。

CLEが造る庭

見た目の美しさと同時に、手入れのしやすさを考慮。また、家を出るときにハーブの香りが漂うよう動線に応じた配置で植栽しています。

庭自体はそう広くはないのですが、家の裏には森があり、その森を臨めるよう庭を造りました。くつろぎの空間としてウッドデッキを庭に設け、森と庭を一体で楽しめるようにしました。

親世帯と子世帯の2棟の住まいは、デッキを介してつながる設計に。プライバシーも確保しながらも塀などで目隠しせず、大小の石や丸太で敷地を仕切っています。自然光を十分採り込める明るい住宅になりました。2世帯の調和、地域との調和を考えたこれからの住まいです。

CLEの考え「日本の庭に在り方」

庭と教育

●家庭の庭に、子どもの興味をそそる工夫をしています。日本の庭「受け継ぐ日本の庭」

●CLEの造る庭は、塀などで囲わず、見せる庭にし、きちんとプライバシーが守られ、魅せると使い勝手を重ね合わせた庭造りが基本です。

●「魅せる」とは石を使ったり、木を使ったり、水を使ったり。日本の庭造りを実証しています。